株式会社スタジオグラム

無印良品 / MUJI


ブランド名

無印良品 / MUJI

 

ロゴマーク

 

 

企業情報

 

・業種
製造小売業

 

・設立年
1980年、株式会社西友のPB商品「無印良品」誕生。
1989年、西友から独立した良品計画は、「無印良品」の企画開発・製造から流通・販売までを行う製造小売業として、衣料品から家庭用品、食品など日常生活全般にわたる商品群を展開している。

 

・本拠地
日本

 

ロゴマークコンセプト

 

「豪華に引け目を感じることなく誇りをもって簡素であること。」「無駄を省いていくことによって、豪華なものよりもっと素敵に見える。」といった、グラフィックデザイナーの田中一光氏が提案した考え方を引き継いでアートディレクションを担当しています。

引用:原研哉 Visualize the philosophy of MUJI

 

ロゴマークを読み解く

 

どうも、新人のなぎです。
今回は無印良品です。MUJIブランドの呼ばれ方でも知られています。
なんかシンプルで心地いい。丁度良い値段。自然派。下手すると無個性。
あなたは無印に対してどのようなイメージを持っていますか。

 

無印良品の誕生

 

無印良品は1980年の日本に、消費社会へのアンチテーゼとして生まれました。
もともとは西友のPB(プラーベートブランド)で生活雑貨コーナーの一角から始まりました。1989年に子会社として良品計画を設立して以降、西友の手を離れ、独立して運営されていくことになります。

当時の日本はバブル景気。「売るため」にモノが本質から離れていた時代。1970年代後半から1980年代初めにかけては、海外ブランドとのライセンス・ビジネスが盛んになっていたそうです。それは例えばポロシャツにマークがひとつ付くことで、そのポロシャツが、実際の正当な価格以上の付加価値を備える、むしろそれが目立ち過ぎるというような状況。ちょっと不健康ですよね。

 

無印良品は、そのような状況への批評を内側に含むものとして、「無印」という立場に「良品」という価値観をつけて誕生した概念、それが「無印良品」です。

 

無印って概念だったんですね。

 

ここで、当時のアートディレクターである田中一光はこういう言葉を残しています。

 

ステーキを食べたり、
フォアグラを食べたりして、
もう飽食になってきた時に、
「ああ、お茶漬けはうまいな」 というような感覚が、
無印良品です。

 

フォアグラは食べたことがないので分かりませんが、「簡素である」「シンプルである」ことは素敵なことなんだよ?という思いが伝わってきます。というかフォアグラで飽食って、例えにせよバブルってそんな豪勢な時代だったんですね…。

 

 

人間の豊かさって?

 

無印良品は創立者の堤清二の矛盾から生まれました。

 

堤は、無印良品を「反体制商品」と呼んでいた。
「同じセーターでも、ブランドのロゴを付けると2割高く売れる。お客にとって、本当に良いことなのか」高価なブランドを身に着けた他人の姿を見て、消費者が焦りと羨望を抱き、同じようなブランドを買いに走る。こんな消費社会に、堤は異議を申し立てたわけだ。堤本人が欧州の高級ブランドを日本に導入し、「庶民も豊かになれる」という夢を見させて西武百貨店を日本一に導いたにもかかわらず、である。高級ブランドブームの仕掛け人が、真っ向からブランドを否定するのだから、これは自己矛盾以外のなにものでもない。だが間違いなく、堤は自ら仕掛けた消費の流れに疑問を持つようになっていた。
つまり無印良品は堤の自己否定そのものだったのだ。
(31~32ページより)

 

「わけあって、安い」と打ち出した無印良品。
もちろん安さは重要なのだが、「ムダを省いたシンプルな商品で生活する幸せ」というライフスタイルを提供することが、肝にある。現代の小売業が念仏のように唱える「ライフスタイル提案」の源流がここにあった。そして西武百貨店やパルコなどの小売業にセゾン文化を巧に絡ませ、大衆に精神の豊かさを提案するという壮大な実験に、堤は乗り出した。必要な物資を効率的に国民に提供するという物不足の時代の流通業の枠を超えて、新たな流通産業を構想したセゾングループ。
これが、歴史に遺した堤の大きな足跡だ。
(294~295ページより)

 

引用:鈴木哲也 著『セゾン 堤清二が見た未来』

 

 

流通の過程で生じる無駄を省き、良い製品を適正な価格で消費者に提供しようという堤清二の考えに、田中一光は豪華を凌駕する「簡素」の美をそこに付与することで応えました。

 

1981年の広告「しゃけは全身しゃけなんだ。」でおなじみ、鮭の水煮もその例です。頭と尻尾の周りにもおいしい身が付いてるのに胴体の輪切りだけが国産メーカーの缶詰に登場している。その点を見直して作られた商品です。この見直しが無印良品のもの作りの基礎でもあります。

食品ロスが問題視されてきている現代ですが、堤清二は当時から目をつけていたんですね。是非今こそ、さらにこういう考えが必要となってきているのではないでしょうか。

 

これがいい、ではなくこれ「で」いい

 

無印良品のコンセプトとしてとして、これがいい、ではなくこれ「で」いいという理性的な満足感を顧客に持っていただくという考えがあります。ここでいう「で」は不満足やあきらめを含んだものではなく、自信を持ってこれでいい、と言えるような高い水準でのこれでいいを指します。

 

確かに僕も、無印でなんとなくこれでいいかもと選んだシャツでも、その後気に入ってしばらく着ていたりします。「無駄を省いて簡素に」「なんとなく選んだけど生活にフィットする」この要素は一見、簡単な省略のように見えますが、最適な形を探る膨大な気力とアイデアを要します。しかし、無印はそれを「発見された普遍」としていて、他の類似企業と比べても多くのデザイナーが関わっているにもかかわらず、デザイナーの名前を冠するブランドにはなりません。そこはあくまでノーブランドであり、「ただ良いものを適正な価格で提供していく」という無印良品の渋さでもあります。(か、かっこいい…)

 

「無印が考えるシンプル」とは空間に溶け込む背景のようなデザインで、無印でいいや、という気持ちをもたらしてくれる水準の高い満足感を与えてくれます。

 

以下ネット記事引用

自然と。無名で。シンプルに。地球大。
「無印良品のコンセプトとはなんですか」とよく質問されますが、様々な答え方を個々でしているのでコンセプトの軸を再度確りと決めてしまおうと、2009 年 8 月に社内で決め ました。無印良品ときくと、シンプル、ナチュラル、リーズナブル、エコなど多くの言葉 が出てきて、すべて当てはまってはいますが全部なくてはいけないのかと言うとそうでは ありません。また、生活の仕方は出来るだけエコでいきたいという全体の考え方がありま すが、それを1つ1つ突き詰めて、これはエコではないでしょうと言われると難しい部分 があります。これでなくてはいけないと縛りをつけてしまうと何も作れなくなってしまう ので、緩やかに今出来ることを行います。最終的にお客さんのベネフィットがないと役に立たずに買って頂けなくなってしまいます。例えば、食品に関して、すべてオーガニック で無添加な商品で展開するべきとの声もありますが、そうしてしまうと価格の面も含めて 限られた人のショッピングの場になりかねません。出来るだけ多くの方にとって、普通に ちゃんとした物を作って欲しいと言われたとき、無印ならこうしようと余計なことを省い た結果に実質本意でものを作っているので結果シンプルで結果ナチュラルになります。無印にいても勘違いする場合があり、シンプルにすることに一生懸命になり、これは省くべ きだと作った結果、シンプルではあるが無印良品の商品と呼べるのかわからないものが出来てしまいます。余計なことをしてシンプルにするという作業を行ってしまうこともあり、 有用性を主眼に入れて物を点検していくことが必要であると思います。お客様が物を自分で使いこなせる余地を残しておくこと、日常生活の中でも使う物の方が優秀だと、自分を 表現するときリラックスした状態にならないのではないかと思います。ブランド品で身を固めて、自分の実力、身の丈以上に着飾ったりしてしまうと、疲れてしまうのではないのでしょうか。使う人が自分の使い勝手を考えられる余地を残す位に完成度をほんの少し抑えておくことが丁度良いのではないかと感じます。お客様が自由に使うことの出来る、使いこなせる物を作ることです。そうすることで自然にシンプル、ナチュラルな商品になるのだと思います。

 

引用:第5回 農産物を活かした地域デザインセミナー
講演テーマ 「無印商品のモノづくりの手引きについて」
講師 萩原富三郎氏 株式会社良品計画 品揃開発担当マネージャー

 

軸がぶれない統一感のあるデザイン

 

無印良品の店舗に一歩足を踏み入れると、「無印良品の世界観」を目や耳だけではなく、五感で感じることができます。

 

天神にもある「Café&Meal MUJI」では素材や自然のうま味を大事にした「素の食」を味わうことができます。まさに、シンプルでおいしい「無印らしい」食体験です。

 

無印良品の熱烈なファンは、部屋のインテリアや生活小物などもすべてを無印良品で統一しているらしいです。無印良品の商品で統一していくと、他のモノやデザインが合わなくなっていくと感じるのだとか。まさに思想というか、概念にあてられていますね…。

整合性のある同じ印象を伴ったブランド経験を何度も繰り返すことによって、ブランド価値が形成されていくのですね。

 

ブランディングにおいて、統一感はブランドを認知する接点をひとつの印象的なイメージで統一することです。すなわち、顧客とのあらゆる接点で”どう振る舞うか””どう見せたいか”を明確にすることです。

 

どれだけたくさんの人に聞いても、限りなくその特定のイメージを思い浮かべていただくことが理想です。無印良品はその点が徹底されています。

 

無印良品の考えに、水準の高いこれでいいを提供するというのがありましたが、軸をぶらさないコンセプトとして「自然と。無名で。シンプルに。地球大。」というコピーを無印は持っています。

これはつまり、簡素さがむしろ美しく、慎ましさが生活者としての誇りにつながるような商品のあり方を日々探る。それを地球規模で考えていくということです。

 

簡素であることがむしろ誇らしい、美しいと無印の消費者は少なからず感じていることかと思います。これって、すごいことです。鮭の水煮をまた例に出すと、これを例えば鮭の食品ロスを見直して作られた缶詰です!とスーパーで売られたとして、果たして何人の人が手にとるでしょうか。ここに無印良品というフィルターを通すことで、途端に魅力的に見えてくるはずです。これはなぜか。

 

それは、無印がブランドコンセプトをぶらさず、愚直に継続して「らしさ」が出来上がっているからです。地元のスーパーでもし、その鮭缶が売られていたら何か骨とかたくさん入ってるんじゃないか。なんてパッと見、思いますが、「無印良品の鮭缶」なので自然に沿っていて、素材の美味しさをそのまま閉じ込めた商品なのだなと納得できます。これは「らしさ」であり、無印良品が商品、広告、デザイン、細部にわたり、いろんな接点から”どう思われたいか”を計画しているからゆえの安心感であり、すべてブランドコンセプトの軸と繋がっています。

 

例えば御社が考えている計画や施策は軸とあっていますか?
無印良品の例を参考に考えてみるといいかもしれません。

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